『雨宿り』

ひしひしと音こそ静かなものの、降りそぞく水量は半端じゃない。
傘を持たぬ僕は手にぶらさけたカバンを傘変わりにし、屋根代わりとなる何処かの建物まで、さ迷うように走り出す。

ぽつりと建つ一軒の店。

閉まってはいるものの、まるでその店自体が開いてるかのように僕を迎えてくれた。

びしょ濡れになった、年代の入ったTシャツの裾を雑巾のように絞る。
雨が降り始めてからこの建物に着くまで走った分だけの水の量が溢れ出る。
絞ったあとの、まだ濡れているしわしわとしたTシャツ。
そろそろ捨て時なのだろうかと思わせる。
ふっと、普段は見ない黒く淀んだ空を見上げる。まだ雨は止みそうもない。

向こうから足音がし、この雨の餌食となったびしょ濡れ人がこちらへと走っている。
若者が着る英語らしきロゴの入ったシャツに、ふくらかな太ももが露かに出されるほどのショートパンツを履いた女性。

僕がいま屋根代わりとしている建物の中に入るなり、まいっちゃうなぁ、と愚痴をこぼす。
雨雲を睨む表情。
それのどこかが愛しくて、可愛らしく思えた。

一軒の店に2人、僕はそれに気付いたためか、鼓動がより高まる。
さっき走ったからなのだと何度も暗示する。

雨宿りしてから、しばらく経つが未だにこちらを見ようとはしない。
少しでも目が合えばいいのに。
横顔も可愛らしく思えたから、真正面も可愛いのかなとか、どんな表情をしているかなと想像を巡らす。

やがて、雨が止み始める。

さっきまで暗かった雨雲の集まりから一点の青い色が現れてくる。
それが点々と広がっていく。

それに比例し、あたりが明るくなっていく。

ふと、隣にいた女性のほうを見やると、ふっと安堵したような表情をして、青が広がっていく空を眺めている。
その表情を時間を忘れたかのように見つめていた僕に気付いたのか、初めてこちらを見る。

太陽が覗き、その光が水溜まりに反射して女性の顔を照らす。

やっと雨があがりましたね。

それを僕に伝え、幾つかの水溜まりを避けながら去っていく。

優しく丁寧な声だった。

僕はこの時、この時だけ恋をした。

雨宿りだけの、それ限りの恋を。

もちろん淡い恋なのも、これから先、縁のない関係だというのもわかっていた。

ただ、言えるのはあの時雨が降っていなければ、この一軒の屋根代わりとなってくれた店でなければ会う事もなかったであろ う、名前も知らない女性に恋をしたんだと。

まだ淀んだ雲の残る青い空から無数の光が祝福してくれるかのように、水溜まりだらけの地上を包んでいく。
僕も水溜まりを避けながら、その無数の陽射しの中を歩いてゆく。

その表情は溌剌としていて、どこかが少年のようだった。

【完】



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